松ヶ島城


《 歴史 》

永禄十年頃 (1567) 北畠具教が織田信長の伊勢侵攻に備えて細首に城を築き、

家臣日置大膳亮に守らせたが、同十二年の織田軍の侵攻で日置大膳亮は細首城を焼いて、

大河内城に籠城したと言われる。

その後、和議が成立して信長の二男信雄が北畠の家督を継ぎ田丸城を築いて居城とした。
天正八年 (1580) 田丸城が焼失、細首城を大改修して松ヶ島城と改称した。
天正十年 (1582) 本能寺の変で父信長が斃れると、信雄は尾張清洲城へ移り、松ヶ島城は家臣津川義冬が城主となる。
天正十二年 (1584) 羽柴秀吉との関係悪化、小牧・長久手の戦いで信雄は、流言によって津川義冬を殺害、

代わって滝川勝利が城主となり籠城したが、秀吉軍の攻撃で落城する。秀吉方の蒲生氏郷が松ヶ島城に入る。
天正十六年 (1588) 蒲生氏郷が松阪城を築き移り、松ヶ島城は廃城となる。